浮世絵が表現する江戸の美

江戸時代(1615~1868年)は、安定した時代でした。文明は繁栄し、都市は想像を絶する規模へと発展しました。身分制度も徹底しており、徳川幕府に仕える武士を頂点として、農民、職人、商人と続いていました。しかし、商人は卸売業やサービス業を営んでいたため、経済的には最も利益を得ることが多い身分でした。彼らは職人と共に「町人」と呼ばれました。

豊かになった江戸時代には様々な商品が登場し、木版画、つまり浮世絵の人気と複雑さはその頂点を極めました。この素晴らしい木版画は、江戸時代の文化的な都市生活、ファッション、そしてはかない美を表現しています。

江戸時代には、印刷技術も劇的に進歩しました。当時、木版画を製造していたのは「浮世絵カルテット」です。この会社は、責任者である版元、版木を切る者、印刷する者、絵を描く者などで構成されていました。1740年代になると、色鮮やかな浮世絵が多く出回るようになりました。浮世絵の特徴のひとつは、和紙という素材ですが、これに関しては「和紙について知っておきたいこと」をご参照ください。

浮世絵の主な役割の一つは、江戸の都市生活者のおしゃれな生活を描くことでした。商人は身分が低かったのですが、財力を手にした者は吉原の歓楽街に代表されるような享楽や贅沢を求めるようになりました。

吉原は単なる遊郭ではなく、江戸の富豪文化の中心地であり、中の者も、外から見ていた者も、その魅力に惹きつけられました。葛飾北斎の娘である葛飾応為が描いた浮世絵は、コントラストが素晴らしく、今見ても素晴らしい魅力をもっています。「葛飾応為:北斎の娘の隠された手」は彼女のことを描いた物語です。

浮世絵には吉原の花魁たちが美しく描かれ、豪華な着物や髪型、化粧などが緻密に再現されました。江戸の大スターだった彼女たちの一挙手一投足は、安価で大量に流通した版画により、村人たちの日常生活に深く浸透していきました。 

     

「美人画」とは、こういった魅力的な花魁の版画につけられた名称です。美人画の浮世絵師として最も知られているのは喜多川歌麿でしょう。「喜多川歌麿:その名画に見る日本の美」では、彼の優れた芸術作品が詳しく紹介されています。

浮世絵のもうひとつの重要なテーマは、「役者絵」として知られる歌舞伎役者の絵でした。歌舞伎の舞台裏の様子をとらえたもので、その技術の高さには目を見張るものがあります。