侍の芸術

ここ日本といえば「伝説の侍」といったイメージが強いですが、侍は戦いだけではなく、様々な訓練を受けていたことを知らない方も多いのではないでしょうか。侍(武士)は、江戸時代(1603~1867年)に最盛期を迎えた前近代的な階級制度における身分ですよね。侍は、武士道という倫理に基づいた暮らしを送っていました。

侍は、当時の制度における最高階級であり、知的で読み書きができ、力があり、高い戦闘力を備えていました。彼らは芸術を尊び、創意工夫に価値を見出す裕福な大名に仕えており、芸術方面でも能力も身につけようと努力しました。

つまり、武士には「武」と「文」の両方が求められていました。「文武両道」とは、このような生き方を指している言葉です。

武士という立場の富と名声を利用し、歌人、画家、収集家、支援者、あるいはその全分野で活躍した武士も数多く存在しています。例えば宮本武蔵(1584~1645年)は、ルネッサンス期によく見られたタイプである、戦い、戦略、哲学、画家、作家における全ての才能を兼ね備えた人物でした。彼は有名な「五輪書」を著しましたが、その中で「優れた武士は剣以外にも、茶道、書道、絵画などの芸術を習得しなければならない」と主張しています。

女性も侍だったのかもしれません。女性は主に武士の妻として仕えていましたが、武士としての訓練や戦闘も行っていました。「女武芸者」というのは、こういった女性戦士に与えられた名称です。女武芸者は伝統的に、紛争時に家を守るといった、どうしても必要な場合にのみ武器を手にしました。しかし、中には職業として戦い、自ら名を上げていく女性も存在しました。

鎧や武器のデザインや細工は、戦いに直結する「侍の芸術」の一例です。武士の主な道具であり、紋章でもある刀の芸術性は、今でも高く評価されています。刀は鋼を湾曲させて作られたもので、鋭い刃先を持ち、堅牢でありながら柔軟性にも富んでいました。

柄と刃を分ける「鍔(つば)」は、元々はただの金属の円盤でしたが、次第に美しい金属工芸品のキャンバスとして発展しました。この美しい装飾品には、家紋や幸運のシンボル、時には神話や文学の一場面などが彫られました。

武士が身につけていた鎧も、同様に細部にまでこだわった見事な造りでした。悪天候に対応するための漆や、ウロコをつなぐ革(後には絹の紐が用いられました)など、高級素材が用いられ、丁寧に手作りされました。頭部に使用された兜は、それ自体が精巧な芸術品でした。鎧について詳細が知りたい方には、「伝統的な鎧について、あなたが知らない10のこと」をお勧めします。平和な時代になっても、武士はステータスシンボルとして甲冑を身につけていました。